2025年10月に観た映画の記録

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2025年9月から、月1本以上は映画館で鑑賞することを目標にしているが、10月も2本の映画を鑑賞することができた。

今回鑑賞した2作は、日本映画の素晴らしさをあらためて実感させてくれた。

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秒速5センチメートル

原作を観ずに実写を鑑賞。映像美や空気感、キャストの演技が素晴らしく、鑑賞後も余韻が醒めなかった。しばらくの間、頭の中はOne More Time,One More Chanceのヘビーローテション。

鑑賞後、ああでもないこうでもないと、わたしの思考や感情が揺さぶられ続けた。なんかスッキリしないモヤモヤ感もあったことから、3日後に原作を鑑賞することにした。

これが大正解。

主人公遠野貴樹という人物の輪郭が鮮明になり、遠野貴樹が単に未練たらしく初恋を引きずっている成年ではなかったこと、初恋を経て、早くに現実と向き合うことを余儀なくされたことなど、わたしが逡巡していた思考がクリアになった。

そして、実写→原作の順に鑑賞できたのは運がよかった。原作はナレーション的な心情の解説も多く、このことを知っていたら、実写の余韻も楽しめなかったかもしれない。

そう思うと脚本の素晴らしさが際立っていることに気づく。遠野貴樹の心が揺れ動くさまを、観る側にゆだねてもらえたことがありがたかった。はっきりとしない曖昧な部分を色々と想像することができたし、これこそが映画の醍醐味だろう。

しかし、それにしても松村北斗という俳優の表現力には驚かされた。
松村北斗の醸し出すなんとも言えない空気感は、まさに遠野貴樹が歩んできた18年を見事に表現していたと思う。未練や焦燥感、空虚、覚悟など、複雑な心の機微が、松村北斗の佇まいから感じとることができた。

ただ、わたしが感じた影の殊勲は、遠野貴樹と篠原明里の小中学生時代を演じた、上田悠斗と白山乃愛で間違いない。二人が演じるシーンは、どこを切り取っても純度の高いピュアさを保っており、それがより一層物語に奥行きを作り出していたと思う。2人の演技があったからこそ、松村北斗演じる遠野貴樹に深みを感じたのだろう。

また、原作では2部のコスモナウトにあたる、高校生時代もよかった。
森七菜演じる澄田花苗には、40代のおっさんでも、自然に涙がこぼれた。等身大の女子高生をリアルに演じた森七菜に脱帽。このパートだけでも、別の映画を観た気にさせてくれた。

実写を観ただけでは、わたしのこの作品に対する解釈が右往左往していたのだが、

「僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないと、はっきりと分かった。僕たちの前にはいまだ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間がどうしようもなく横たわっていた」という遠野貴樹のナレーションを

原作で聞いたとき、この物語を理解できた気がした。

実写→原作→実写の順で鑑賞すると、また違った解釈で楽しめるかもしれない。

エンディングでかかる、米津玄師「1991」も余韻を引き止める。

国宝

ロングランのおかげで鑑賞することができた。

映画館で鑑賞できて、本当によかった。まさに圧巻の映画。

歌舞伎に人生をかけた人間の物語。3時間近くあるが、全く長さを感じなかった。その世界感に引き込まれた。

吉沢亮、横浜流星演じる二人の生き様がリアル。生きるとは何かということをあらためて考えさせられた。人間のキレイな部分だけでなく、醜く泥臭い部分も表現されており、生きるってこういうことだよなって感じた。

そして2人に負けないキャストの演技力も秀逸。

特に万菊を演じた、田中泯はまさに国宝。

晩年の万菊のセリフは考えさせられるものがある。

「ここには美しいものが何もないから、
私は居心地がいいんだ。」

すばらしい映画を鑑賞することができて本当によかった。

TOHOシネマズなんば本館ではじめて鑑賞。すごく鑑賞しやすい映画館だった。

国宝が上映されていたスクリーンは、ラグジュアリーなフロアにあったので、テンションも上がった。

TOHOシネマズなんば本館は、向かい側に高島屋、隣にエディオンがあるので、鑑賞後に買い物も楽しめる。ただ、エレベーターが混むのと、チケットフロアがそこまで広くないため、人混みがあるとやや窮屈に感じるかもしれない。

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